イティハーサ  【書評 | 感想】

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 読者を別世界へ誘ってくれる小説やマンガは、あまり多くありません。このマンガは読み手を別の次元へと誘ってくれるような力を持っています。単純な善悪を超えた、その先にあるものを見せてくれる話なので、大人が読んでも「不思議な読後感」を味わえると思います。

概要

水樹和佳子による少女漫画SFファンタジー。1986年~1997年の作品。子供向けSFマンガとはいえ、「電気羊はアンドロイドの夢を見るのか」やスタートレックシリーズのような、大人な雰囲気の漂うマンガです。

あらすじ(導入部)

舞台は、超古代の日本をモチーフにした言霊の力が現実にパワーを持っている異世界。少年鷹野(たかや)はある日、捨て子を拾い、喜んで妹として育てることになります。彼女の名前は透祜(とおこ)。この二人がマンガの主人公です。

7年後、村は威神(いしん)と呼ばれる戦いを好む悪神を崇める人々の襲撃を受けます。逃げ延びた二人は、威神と対立する善を好む神、亞神の信徒のグループに助けられます。 威神と亞神、善神と悪神の戦いが、人間達を巻き込んで始まろうとしていました。

モチーフ

超古代文明な日本

言霊の国、日本をモチーフにしているため、真言告(まことのり)という言霊のパワーがファンタジー世界での魔法のようなものとして存在しています。

また、ミズラのような古代史の絵によく出てくる髪型の男性キャラもよく登場しますし、神鏡・剣・勾玉、このあたりはそこそこ重要なアイテムとして登場します。和風ファンタジーがなんとなく好きな人なら反射的に笑顔になる要素が入っています。

神代文字

イティハーサの世界の呪文である真言告(まことのり)を唱える時に、描かれるのは、独特の神聖文字です。これは、いわゆる神代文字をモチーフに創作されたものと思われます。この文字や記号は、異世界観をいい感じに演出してくれています。

神代文字というのは、「神代の昔から、日本にあったらしい」とされる文字の民間伝承です。ただ、歴史学的には、その大半は古代まで起源をさかのぼれるものではないとされています。このため、まともな歴史の本には載っていない話なので、その存在は一部の人にしか知られていません。

ただ、歴史学的に古代にさかのぼることはできなくても、呪術的・宗教的に江戸以降において利用例が色々とあることは確かです。そして、その意味での価値は高かったようです。日本仏教がサンスクリットを呪術的なパワーのある文字として用いたように、江戸時代の神官や陰陽師たちは、神代文字を神聖文字・魔術的な力のある文字、として使ったのでしょう。

実は、現代の治療家の中にも、この種の神聖文字を呪術的に治療に使っている人は存在します。まさにシャーマン的な治療が現代に再生している例と言えるでしょう。(注、呪術的なものですので、万人に効果効能があるかどうかは何とも言えません)

また、実はデザイン的にみても、神代文字は、異世界文字のカタログとして非常に魅力的な素材の一つです。(自分の制作物でも使ってみたい人は「神代文字入門」(原田実)がオススメ)

科学文明と魔法文明

かつてほろびたアスカという科学文明と、ムーという宗教文明があったという設定になっています。これは、古代に滅びたというアトランティス文明の伝説と、ムー大陸の伝説からでしょう。どちらも伝説であって、実際どうだったかは謎です。

ただ、「科学だけが発達した世界」も「精神性だけが発達した世界」もどちらも滅びたというストーリーは、現代人にとってなかなかに寓意的です。「機械の身体にはなりたくない!」(銀河鉄道999)といった他のSFマンガの設定にもどこか通じるものがあります。

善神と悪神の戦い

善と悪の戦いというと、普通は善のほうが勝てばハッピーエンドになりそうですが、イティハーサの世界の亞神と威神の戦いはそう単純なものでもありません。ファンタジーなのに、意外と現実世界に近いです。

善の世界の人達は、自立心や好奇心まで失ってしまいて奴隷的になってしまっているという闇の部分も持っています。悪の世界の人達も、野獣的な悪い部分だけでなく、光の部分も持っています。

この辺は、子供の内に何回か読ませておくと、10代のうちから「善悪二元論や二項対立を超えて」的な哲学的な話も、ナチュラルに理解できるようになると思います。

読後感 まとめ

「人間、この不調和なるもの」というような言葉がエンディングのほうにあるのですが、安定してしまうことなく、変化し続けるのが人間の本性なのかもしれません。

そういう不思議な読後感に満たされるのですが、いわゆる難しい本と違って「強烈な毒にガツンとやられる感」はありません。ふつうに「いい映画をみてきたたなあ」的な爽やかな印象が残ります。

「ひと時の間、夢の世界をたゆたう」かのような時間を楽しめる、さらに現実を見る目も深くなってしまう、という優れた能楽のような本でした。

おとなにもこどもにもおすすめできます。10巻ある以上あるマンガを一気読みしてしまったのは、もしかしたらこれとキングダムくらいかもしれません。

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About Author

サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

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