何かを批判していい時よくない時 ネットでの批判はポジショニングを考えて

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具体名をあげての攻撃は基本的にしないほうが無難ですが、自分のポジション的に必要な批判はどんどんやればいいと思います。ただ、単にムシャクシャしたからする批判は、あとで後悔することが多いので、「自分が批判してもいい対象」は冷静な時に設定しておいたほうがよいと思います。


たとえば、アレルギー治療のお医者さんでステロイドに絶対反対という治療でやってるんだったら、ステロイドはカスだ、あんなものをつけたら一生治らない、的なアオリは当然必要でしょう。烈火の如くの強烈な同業者批判がポジション的に必要だと思います。それが目の前の患者さんのためだからです。

特定のボランティア活動への寄付を強烈に押す必要があるなら、「あなたはノウノウと暮らしているようですが、地球の裏側では今日もたくさんの人が餓死していますよ。」という古典的な批判はどんどんやればいいと思います。良識的な人には嫌われるかもしれませんが、助けたい人を助けるほうがより重要だからです。

日本の近代史の知識を啓蒙したいなら、「朝鮮人学者は、なんでも朝鮮起源にして愛国自慢のネタにしようとしている」的な批判は場合によって必要です。「沈黙=相手のウソ八百な発信を認めること」になってしまう場合、「彼らはウソつきですよ」という発信は当然必要な情報発信です。茶道や勾玉まで朝鮮半島起源と主張する人達がいるくらいですので、守りたいものを守るためにには警鐘をならす必要があります。

「ポジティブに考えなくてはいけない」と思い込んで苦しんでいる人をどうにかしたいなら、「ポジティブ思考なんかカスでしょう」「怒ってはいけない?表舞台と裏舞台でやってることが違う人なんてたくさんいますよ」的な自己啓発批判はどんどん行う必要性があります。なぜなら、それで精神的に自由になれる人がいるからです。

健康的な食事を啓蒙していて、マーガリンはカスだとか、ファーストフードはヤバイと考えているなら、ストレートに「1日3食ファーストフード、1ヶ月後には病院送り」式に批判をすることは必要です。ファーストフード批判は「スーパーサイズミー」というアメリカ映画が有名ですが、あれが必要なジャンルが専門なら良心に従ってくださいということです。


ただ、こうした立場的な必要性がない対象は、公開の場で批判する意味はあまりありません。腹の虫がおさまらないようでしたら、裏でこっそりやってください。

深夜の某外食チェーン店にいったら店員が寝てたとか、その程度のことにいちいちネット上で本気で反応しなくていいよという話です。


お肉は適度に火で焼けば美味いしくなりますが、焼きすぎると焦げて食べられなくなってしまいます。美味しく食べたい肉が炭化してしまうとかなり哀しいです。

怒りを発信する時は「自分がどういう人達の味方をしたくて、どういう人達とは敵対しても仕方がないのか」ということをクリアにしておかないと、頑張って発信した割には不本意な結果を生んでしまうリスクばかり高くなってしまいます。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。