やまとごころの再定義 2673

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日本という文明の特色、日本人の心、やまとごころとは何でしょうか?
「敷島の やまとごころを ひととわば 朝日に匂う 山桜かな」と詠んだのは本居宣長ですが、最近の私の辞書では

「和魂(やまとごころ)=才(知識/スキル)をいかに使うかという、人間本来の直観的判断力」

としたうえで、細かくは次の3つの要素を持つという定義にしています。

誠=自分にウソをつかない美しい生き方
楽=自然体なからだとこころ
敬=多様な価値観を尊重する智恵

の三要素です。

誠は、とにもかくにも「自分自身に対してウソをつかない生き方」ということです。多くの人は、日常生活を円滑化するために本当の自分の感情に対して多くのウソをついて生活しています。人によっては「ウソをついている自覚さえなくなっている」ことでしょう。それで「不幸だー」と嘆いているのですが、毎日自分の感情を無視していたら不幸な気分になるのは当たり前です。誰でもそうなります。ウソが全て悪というわけではありませんか、自分の本音に対してつくウソはなるべく減らしたほうがよいということです。

要するに、武士道が伝統的に大切にしてきた「われ事において後悔せず」(宮本武蔵)という態度、「死ぬ時に後悔がない毎日」を過ごせということです。有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)というのは、「いつ死んでも後悔がないように、毎日丁寧に生活しよう」という話です。「死ぬこと=武士の道」というわけではありません。

 

楽は、自然体なからだと心です。自然体というのは、頭で考えるだけでなく「からだは答えを知っている」という身体感覚をもつことです。小さな子供のような「気持ちがよいという正義」や「楽しいという正義」も大切だということです。

大事なのは、無茶はしても無理はしないことです。例えば、徹夜仕事や身体を酷使する苦行というのは別に美徳でも何でもありません。世の中の大半の徹夜業務はただ単に「上に立つ人間が義務を果たしていない」だけです。また、苦行したからとといって必ず成果が出るほど世の中都合よくできていません。

戦国時代~江戸時代、日本には「天」という概念がありました。今でも「おてんとさまが見てる」という言葉にこの発想は残っています。

「敬天愛人」(西郷隆盛)という言葉が分かりやすい例です。

この場合の天は特定の人格神ではなく、宇宙そのものといったイメージや、心の中にある「自分の意志で選んだ価値」に従うことが大切といった発想に近いものになります。「天と人は一体であり天は心の中にある」という発想です。天国も地獄も心の中にあるのです。これは、現代にも通じる非常に普遍性の高い発想です。将軍や天皇などの一部の貴人が天や神を独占するという発想では全くないからです。

自然体というのはこの天を意識する発想に考え方としては似ており、「頭で考えるだけでなく、からだが気持いいと感じることを大切にする。」ということです。要約すると、「考えるな。感じろ」という子供のようなノリも大事にしようという話です。

 

敬は、「多様な価値観を尊重する智恵」です。難しく言うと「善悪二元論の超克」。カジュアルに言うと「みんな、本来の自分でいいんですよ」という話です。

二元論を超える例ですが、例えば人間が何かを決断する時に一番大切にすべきことは自分基準で「美しいかどうか(本心かどうか)」という話です。道徳的な善人になるか悪人になるかといった話は二番目でいいのです。そもそも善悪というのは、一つの物事のどこを見るかの問題です。太陽という同じ自然現象も、夏は暑さという悪の源泉となり、冬は暖かさという善の源泉となります。ただ、太陽自体は何も変わっていません。

多様性の尊重というのは、話し合い至上主義とは違います。

文と武のバランス、経済と道徳の両立、博愛と冷酷のバランス、機能とデザインのバランス、苦と楽のバランス、投資と結果のバランスなどなど、

どっちも大事だよねで終わらせるのではなく、積極的に今ここでの最適な調和を捜すのが大事ということです。

日本の伝統としての神道そのものは、キリスト教における聖書のような明文化された経典をもたず、統一された教義ももたないというのが特色です。その意味で、神道はキリスト教やイスラム教のような文字になった聖典を持つ宗教とは少し違います。「本当に大切なことは言葉にできない」という極めてまっとうな主張が伝統的な精神なのです。なのでテキストにこう書いてあるからどうこうという話よりは 「心の声に従うことこそが大切である」という話にはどうしてもなります。

 やまとごころ(和魂・大和魂)という言葉はもともと漢籍のような輸入物の学問に対しての、人間がもともと本能的に持っている実用的な知恵といった意味合いがありました。平安時代は、和魂漢才、明治時代は和魂洋才とよばれたものです。いずれも「知識」に対する「智恵」の立ち位置にあるのが和魂であることは注目すべきことです。

21世紀ではこの原点に立ち返り、「才(知識・スキル)をいかに使うか」という力を「和魂」と考え、具体的には「誠・楽・敬」という要素を持つとするとよいと私は考えています。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

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