みんなで不幸になろうキャンペーンはもうやめよう

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「長い間続いているから=世の中的に受け入れられている」という頭の固い人達が好みそうな論法があります。この論法には、不幸な現実を強化するという欠陥があります。「みんなで不幸になろうキャンペーン」からは抜けるという意識をもったほうがよいです。「竹やりでB29を落とそう」的な敗戦直前の大日本帝国の軍官僚となにも変わらないことをやってしまいかねないからです。

例えば、都会の通勤電車のラッシュなどは「みんなが嫌なのに続いていること」の一番分かりやすい例のひとつでしょう。誰一人として望んでいないはずの「奴隷船のような輸送装置」がかなり長い間当たり前のようになってしまっています。

「風邪を引いたくらいで休んではいけない」というのも「みんなで不幸になろうキャンペーン」の一つの例でしょう。「代役がいない」仕事なら話が少し違いますが、世の中のほとんどの仕事は「代役」がいます。近所のスーパーが休みなら、隣町のスーパーに行くだけの話です。


さらに言えば「生活のために働かなくてはいけない」というのも、大多数の人にとっては「望まない現実」だと思います。しかし、労働なしに食べていける人間は、今の世の中ではまだまだ非常に少数派です。


別に資産家でなくても「好きなことが仕事になる。もしくは、今の仕事が好きになる」という条件のどちらかが満たされれば、「生活のために仕事をしなくてはいけない」というストレスは消えます。ただ、「たいしたカネは持ってないけど好きなことして生きていけてる」というアーティスト的な人達を数に入れても、「生活のために労働しなくていい」人達は、まだまだ少数派だと思います。


稼いだ分のけっこうな割合で税金と社会保険税(いわゆる社会保険料。あれは国の強制徴収なので、実質的に税と呼ぶべきものです。)をおさめなくてはいけない。その血税がわけのわからない使われ方をされている。これも、大多数の人にとっては「望まない現実」だと思いますが、長く続いている現実です。


もちろん、税金そのものが悪いとは言いません。私たちが普通に、日常生活を送るためには、政府がしっかりしていることは重要です。取引で約束が守られるのも、犯罪が少ないのも、「法律・軍・警察・裁判所」といった国家による裏付けが機能しているから、公務員の人達が実はちゃんと仕事をしているからです。

国家の官僚機構・軍や警察の仕組みがなくなれば、それこそ泥棒や詐欺が日常茶飯事になっても不思議ではありません。約束を破っても法律的なデメリットがないのなら、悪徳業者が今以上にどんどん増えていくことでしょう。

中世の日本は中央政府が現代のように治安維持に責任を持つことはなく、それこそアウトローな世界に近い世界でした。なので、寺でも神社でも村でも町でも、それぞれに武器をとって武装していたのです。昔の神社仏閣は武装をしていましたが「警察なんてあってなきがごときの世界だった」というのも大きな理由なのです。

そういう自警団を組織するような近代以前の世界に逆戻りしたくないのですから、税金は社会の必要経費です。ただ、意味不明な○○法人に使われていたり、一部の人達の利権のために消費されるのが問題なわけです。


「長く続いているから、正しい」「長く続いているから、世の中的に認められている」というのは実は誤りです。「みんなで不幸になろうキャンペーンはやめる」という意識を持っていくべきなのです。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。