戦争の反省というテーマの授業をするなら、何をしますか?

0

戦争の反省というテーマの授業をするなら、何をするべきでしょうか。とりあえず悲惨な戦争映画を見せて泣かせて終わり、というのはやらないよりはましですが、実際的には全く反省しているとは言えません。反省するなら道徳のフィールドではなく社会的な視点から反省したほうが有益だと思います。

たとえば日本人視点で第二次大戦の反省ということをするのであれば、

1.まずは戦争の前にさかのぼって、戦わずにすませる方法を考える
2.やるならやるで、完全勝利に持っていくための方法を考える
3.次に、現代において戦争の教訓を活かすにはと考える

戦争を反省するならこういうことを反省をするのが基本だと思います。

なので、先の第二次大戦の日本をテーマにして反省するなら

1.なぜ戦争せざるをえなくなったのかを考えて、回避方法を考える
2.やるなら日本がアメリカやイギリスを無条件降伏させるシナリオを作る
3.次に、先の大戦の失敗を繰り返さないためになすべきことを考える

ということをやっていけば、オモシロくて役に立つ授業になると思います。いわゆる失敗の研究と戦略シュミレーションです。

たとえば、なぜなし崩しに戦争せざるをえない状況になったのかというと、1つは米国政府が戦争を望んでいたというのもあります。が、もう1つは、当時の日本軍が現場の人間が暴走しがちな組織だったというのが大きな原因です。

当時の日本国がきちんと統制のとれた国であれば、米英の無茶な要求を我慢させて戦争回避するということもできたはずです。明治時代は 日清戦争後の三国干渉という無茶な要求に対して、我慢しつつ国力をつけることに専念しています。が、昭和初期の日本は軍の現場の人達がしばしば暴走したりする政情不安な状態でしたので、それはできませんでした。

というのは、当時の軍は口では天皇陛下万歳といいますが、実際は現場レベルの軍人達が勝手に陛下の軍隊を動かして好き勝手なことをやることがある状況だったからです。満州事変以降のシナ事変(日中戦争)が無軌道に拡大していったのは、現地軍が中央政府の言うことをきかずに暴走したのが大きな原因です。

軍隊というのは上下関係がかっちりした組織なので、本当なら現場が勝手に暴走することは許されません。が、当時は統制が崩壊していたのでその辺はうまくいっていませんでした。ところでなぜ軍隊が暴走しがちだったかというと、国民世論の支持があったからです。大衆や新聞の暴走が軍を暴走させたところがあるのです。

ちなみに、先の大戦で日本を勝利させるには、というのは色んな人がシュミレーションしています。この辺は娯楽小説がたくさん出るくらいなので、ゲーム的に楽しめる所だと思います。お約束の勝ちに行くパターンとしては次のものがあります。

1.独ソ戦がはじまったら日本も全力でソ連に攻めていく
2.アメリカは放置して英国とオランダにだけ宣戦する。アメリカが戦争をしかけてきても守りに徹する。
3.インド洋から英国勢力を追い出すなどの対英戦争に専念

など、日独をちゃんと連携させようというのがよくあるパターンです。

史実では日独伊三国同盟といっても、まともに連携していなかったのが敗因の一つだったので、まともに連携させればよいという話になります。

1に関してはノモンハンでボロ負けしているから意味が無いのではという反論が予想されますが、ソ連崩壊後にソ連側の資料がでてきて明らかになった話ですが、当時の日本軍は実は通説で言われるほどはボロ負けしていません。戦車は負けてましたが飛行機は勝ってました。

また、そもそも当時のアメリカ世論は戦争反対でしたので、寝た子を起こすなという話でもあります。史実では日本がアメリカに戦争を仕掛けたから本気になって戦ってきましたが、たとえば日本がオランダとだけ戦争していたら、オランダの植民地を守るためにアメリカ軍が本気を出して出撃することがあったかというと疑問です。

最後に、3の現代に反省をいかす方法ですが、「過去の勝ちパターンに頼ってはいけない」というのが日常的にも使える反省の一つです。

日露戦争の勝ちパターンをもう一回やろうとして見事に失敗した、というのが第二次大戦での日本帝国陸海軍の敗因の一つだからです。自分達で航空機で戦争する時代の幕を引いておいて、日露戦争の成功よもう一度、と巨大戦艦を作り続けていた海軍はいい例です。陸軍がまともな戦車を作れずに終わったことも、過去の成功パターンにしばられて近代戦に適応できなかった例としてよく語られます。

Share.

About Author

サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

Comments are closed.