【面白いことが真実】という正義で動いてしまうネット社会のワナ

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面白いが正義、感動が正義、というのはエンターテイメントに関してはそうかもしれません。何でもその方向で拡散しがちなのがネット社会の欠点ではあります。この現象のデメリットは、単なる間違いが社会的に巨大な影響力を持ってしまうリスクがあることです。

1.天文ジャンルのトンデモな動画の例

まずは、天文から。下記の動画をご覧ください。非常に拡散しているものです。

 

 まずこの映像美は素晴らしいです。作者はクリエイターとして非常に優れた才能があると思います。ただ、残念なのはネタ元として拾ってきたであろう話が、単なる間違いを大量に含んでいることです。

(※参考引用元  [BAD ASTRONOMY翻訳記事] と検索すれば出てくるブログ記事をお読みください。元の英文記事のURLもどうぞ→http://www.slate.com/blogs/bad_astronomy/2013/03/04/
vortex_motion_viral_video_showing_sun_s_motion_through_galaxy_is_wrong.html  )

読みに行くのが面倒な人のために軽く説明します。この動画の太陽系モデルが真実で従来の天文学のモデルが誤りだったとすると、人類が今までに打ち上げた火星探査機などは火星にも小惑星にも木星にも土星にも到達できなくなります。イトカワと往復したハヤブサも目的地に到達はできません。

ちなみに「銀河系中心の回りを太陽系が回っている」という点に関しては事実です。その話を啓蒙するという意味だけで言えば、いいところもある動画です。

次に歴史ジャンルから一つ取り上げます。

2.歴史ジャンルのトンデモ本の例「江戸しぐさ」

江戸しぐさというマナー運動があります。下記はそれが取り入れられたTVCMです。

 

 

たとえば、江戸時代から続く伝統的な娯楽である「落語」にはまったことがある人なら、この動画を見ただけで強い違和感を覚えると思います。

実は江戸しぐさは歴史に詳しい人から見れば【単なる誤り】を大量に含んでいるコンテンツです。江戸しぐさという名乗り方はやめて、「夢のお告げで観音様が現代人に与えたマナー」とでも変換してほしいくらい、歴史視点で見ると江戸時代には存在しなかったであろう発想ばかりのコンテンツになります。

どれくらいいい加減かというと、「江戸時代に、時泥棒は十両の罪という、現代人の時間に厳しい人のような感覚があった」というネタに反論するだけで十分だと思います。

みんなが携帯や時計を持っている現代と違って、昔は 「時計を持っているひとなどごく一部」でした。そういう時代に「時間泥棒は十両(いまの100万円くらい)」などという感覚が生まれるわけもないのです。

なぜ間違った話が拡散するのか?

この種の現象がややこしくなりがちなのは、間違いを広めている人は「感動を話したい!」という純粋な善意が広める動機なので、情報が正しいかどうかを検証する動機があまりないこと。そして、専門知識のある人達も「嫌われることをあえて言う動機があまりない」という点です。

「真実なんて各分野の専門家だけが知ってればよい、大衆は面白ければいいのだ。」という意見があることは承知しています。

確かにあらゆるジャンルに関して一定以上の基礎知識を持つというのも、よほどの天才でもなければ現実的には不可能に近い話です。いわゆるTVのコメンテーターは専門外のことに関してはトンチンカンなことを言うことがよくあります。人間はよく知らない分野に関しては誰しもああなりますし、それは仕方の無いことだということです。

私自身も、宇宙の動画と江戸しぐさは、宇宙の話や歴史の話が好きだからおかしいと気が付きました。が、それほど興味がないジャンルの話だったら素直に聞いてしまっていると思います。

ただ、単なる間違いが社会的に巨大な影響力を持ってしまうと、変な方向に社会が進んでしまい、静かな生活が妨げられるかもしれないリスクはあります。

例えば20世紀の一時期のアメリカ合衆国は禁酒法を全国区で成立させて13年近くも施行していました。変な知識が巨大な影響力を持って広まってしまうと、この種の変な法案が国会を通ってしまい、生活に影響がでてしまう可能性は常にあるのです。

なので自分が持っている「判断力」というものをあまり信じすぎないこと、おかしいと思ったら「おかしいものはおかしい」と声を出すことも大切なのです。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

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