歴史問題。日本とドイツの一番大きな前提の違い

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ドイツは過去の一時期を分離することを選び、日本は数千年の伝統の切り目のない継承を選んだ、かつてそういう選択が国家レベルでされました。「ナチス時代のドイツはドイツじゃない」という立場を選んだのがドイツで、そういう分離する発想を選ばなかったのが日本なのです。ここが第二次大戦の話題に関して、日独の前提が違う部分です。

 

ドイツの場合は、第二次大戦中の悲劇に関して「全てヒトラーとナチスという悪い奴らがやったことで、ドイツ人も被害者です」的な理屈を採用したのが特徴です。が、日本の場合は「大日本帝国の正当政府」がそのまま「現在の日本国」になっています。これが大きな前提の違いです。

ドイツは第二次大戦での悪をヒトラーに丸ごと押しつける作戦を選びました。これはかつてフランスもナポレオン戦争の時にやった方法ですが、うまく使えばいい方法のひとつです。自分たちも「私たちも実は悪の独裁者の被害者である」ということで周りの国と同じ立場に立てるという利点があります。戦争に負けた時に外交で回復する方法の一つとして定番の作戦の一つです。

日本の戦国時代で言えば、「兄弟の兄は徳川に、弟は豊臣に、とあえて家を分裂させ、どっちの時代になっても一族のどちらかは生き残れるようにした」というのと似たような発想になります。


ところで、我らが日本国は公称2600年近い現王朝を継続することを条件として降伏しました。個人として天皇制を支持する支持しないはさておき、第二次大戦前と後で同じ国家が継承されているのが日本で、別国家になっているのがドイツだということです。


継承を選んだ場合、歴史をネタにした外国からの攻撃はより強烈になります。同じ旗の政府が続いているからです。その代わり「過去の遺産も継承できる」という利点はあります。


ドイツの場合、アメリカなどの戦勝国以上に「ナチス的なものへの規制」は徹底しています。アメリカや日本では、小説の中で「ヒトラー総統が第二次大戦に勝利するもの」があったところで、一部団体から批判を受けることはあっても発禁処分になるようなことはありません。普通の民主主義社会なら表現の自由というものは重要度の高い正義だからです。

ところが、ドイツは「ナチス時代」を徹底して批判する国家体制をとっているので、この件に関しては表現の自由はありません。たまに歴史認識に関して「ドイツを見習いましょう」という主張がされることがあります。が、そもそもの前提が違うので同じ作戦は使えません。日本国の場合は、同じ国家が継続しているので、「全部ヒトラーが悪かった」式に「全て昭和天皇が悪かった」式の歴史観を作ってもあまり説得力がないからです。

なお、これは日本の場合の困った話ですが第二次大戦に関しては、敗戦のとばっちりで「あることないこと」をチャイナやコリア(南北朝鮮)から押しつけられている観があります。いわゆる南京事件といわゆる慰安婦問題は一番いい例です。あれはもはや歴史の話ではなく、政治戦・情報戦の世界の話になっています。北京政府があの件に関して主張することは、9割のウソと1割の誇張で構成されていると思ったほうがいいです。あれはあくまで政治交渉のツールになっているということです。


不当な扱いを覆すには気長に戦い続けるしかありません。一度の先祖の失敗が延々と子孫に及ぶ、そういう考え方は破壊していかなくてはいけません。


国際的な話であれ普段の人間関係であれ、間違った前提を覆すには「冷戦を恐れず、気長に主張し続けること」が重要になります。実際の殴り合いはしないまでも、なめられるよりは怖がられるほうがよいということです。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。