狩猟民族と農耕民族の対立という話と、日本の神話

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農耕というと自然と共存みたいなエコなイメージがあります。ただ、実は田畑を作るという行為は自然破壊でもあります。狩猟のほうが実は素の自然を残すという意味では自然に近い発想になります。神話の中にも「狩猟民と農業民の対立」というフィルターで見るとオモシロイ話があります。


日本神話には、スサノオという有力な英雄神がアマテラスの田畑を壊すという話があります。これは、スサノオを狩猟民の神として、アマテラスを農耕民の神としてみると、現世の対立がそのまま天上界の物語に反映した感があります。

スサノオはその髭が木になったという神話を持つことから「森の神」としての要素を持っていると推測できます。これに対して、アマテラスは稲穂を子孫に授けた神話から「農の神」的な要素を持っていると推測できます。


縄文時代の日本人は、主に森の果実の採集や狩猟などの山の幸によって豊かな生活をしていたと言われています。実は農耕も行っていなかったわけではないのですが、主には狩猟採集がメインだったようです。これに対して弥生時代の日本人は、大規模な水田を創るといった農業的なことを主に行っていたと言われています。

奈良時代に編集された日本神話を見ても稲作バンザイ的な話ばかりでなく、「海幸彦山幸彦」などの漁師や猟師のキャラクターが主役になっている話もすんなり見つけることが出来ます。


山で狩猟をしたり森で木の実を集める、こうした生活をする狩猟や採集をする人達から見ると、森を開墾して田畑を作る農業の人達がやることは、実は自然破壊になります。せっかく山から食料が良い感じにとれていたのに、森を減らして田畑にされてしまったら自分達の生存圏が脅かされるわけです。


森の神としてのスサノオが、農の神としてのアマテラスの田んぼを破壊した話があるのは、この視点でみると実は興味深い現象です。

神話の中には「農耕と狩猟の間の文明の対立」的な構造も反映されていると類推することができるわけです。

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