和の精神の美徳と悪徳

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「和をもって尊と為し」(聖徳太子)という「和」の価値観ですが、これは「調和を重んじる」という価値観です。日本人の精神的な美徳の中でいまでも大きな割合をしめるもののひとつです。この発想には、美徳と悪徳があるので、両方とも意識しておくことが重要です。

「和」がよい方向に働くと?

「和」の精神はよい方向に働くと、「多様な価値観の共存」という普遍的な美徳が生まれます。

これは現代的にいえば「民主主義」的な思想のベースとなるもので、世界のリーダーとしての日本にふさわしい美徳です。

フランス料理・イタリア料理・中華料理・・・、あらゆる国の料理が一定以上の水準で味わえるというのは日本のすごいところの一つです。微妙に日本風に改善されたり改悪されたりしているとはいえ、これは実は世界に誇るべき食文化と言うことができます。

聖徳太子時代の日本は、渡来人集団(海外からの移民組)も混在している多様な豪族の連合政権的な政治体制で、君主としての天皇の権力はまだあまり強くありませんでした。なので、君主独裁ではなく、有力者による合議制という方針を基本にしたものと推測できます。 また、明治維新の時の日本が、「伝統的な武士道精神」と「近代的な西洋の軍事技術」という二つのものを調和させることができたことは、当時の日本が独立を維持できた大きな理由の一つです。

「和」が悪い方向に働くと?

「和」の精神はダークサイドに働くと、内輪の仲良しごっこが全てに優先」という悪徳に堕落します。

つまり、「大蔵省の省益が一番大事。日本の国益はどうでもよい」「自分の部署の利益が一番大事」といった役人の世界にときおり見られる堕落になるわけです。 この、半径3メートルの人間関係を安定させることがすべてに優先という悪徳が発揮されると、原発事故の時の内閣や第二次世界大戦時の陸海軍のように自滅的な行動をして失敗を重ねてしまうわけです。

これは国や東電のような大きな組織にかぎらずどこにでも見られる悪徳で、学校でのいじめなどもよい例です。

いじめっこ同士で仲良く和を保つために、いじめの対象が必要になるわけです。そして、いじめに関係のない周囲のひとたちも「波風をたてずに平穏に」という自分たちの仲良しごっこ妄想を維持するために、ついつい黙認してしまうわけです。

教師などの集団のリーダー的な人までこの「仲良しごっこ妄想」の維持に手を貸してしまうと、集団の外の人間が別の正義による強烈な殴り込みをかけない限り、いつまでも解決しないということになります。

時には空気を読まないことが大事

これは、「みんな仲良く」が大事なのか「空気を読まずにストレートな発言をすること」が大事なのか、という問題にもつながるでしょう。いつもケンカばかりでは何も前に進みませんが、時に空気を読まないことのほうが大事な場合もあります。

嫌なことがあってもニコニコ笑っているほうが、ストレートなことを言うよりもお気楽です。なので「空気なんか読むな」というほうを意識的に意識することが大切になると思います。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。