みんな仲良くが全てではないだろう

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「仲良くしよう」ではなく、「自分側の在り方を認めさせる。相手の在り方も黙認する」だけでいいんじゃないのと思うことが色々あります。たとえば、宗教的信条とか食べ物の好き嫌いとか歴史認識などは人によって異なるわけです。それを「みんな仲良く、同じものを食べよう」的にすることは、どちらかがどちらかを完全な支配下におかない限りは基本的に無理な話です。


たとえば、イスラームは基本的に土葬の習慣があります。火葬は罪人に対しての刑罰という発想さえあります。なぜなら、彼らの世界にはキリスト教と同じで「最後の審判で死体がみんな復活する」という概念があるからです。大天使のラッパがなってみんな復活するのに、火葬で遺体が塵になっていたら復活できないのです。

一方で、仏教文化圏では遺体にその種の価値はありません。仏教世界では、人は輪廻転生してしまうのですから、死後の肉体などは本来はどうでもいいものなわけです。現代の日本人は遺骨というものに執着する習俗を持っていると言われます。が、仏教式で葬式するなら「死んだら転生する」のがデフォルトです。現代の日本に抜け殻である遺骨に執着する習俗があるのは、実はけっこう不思議なことなのです。


「仲良くしよう」という発想は、ついつい「同じにしよう」という発想になることが多いです。

ただ、宗教の話で言うなら

キリスト教徒にとってのイエス→救い主で神の子
イスラム視点でのイエス→偉大な預言者で人間
日本人(非キリスト教徒)にとってのイエス→有名な宗教家で人間

など、人によって視点は変わると思います。こういうことは「住む世界が違うことを認める」のが大事で、相手と自分の意見を同じにすることはできません。キリスト教徒にとってのイエスは神の子ですが、日本人(非キリスト教徒)にとってのイエスは、ただの有名な宗教キャラその1でしかないわけです。

こういうのを「仲良く同じ意見に」というのは実質的に「改宗」を意味しますので、カンタンにできるものではありません。

歴史認識もいい例で、たとえば先の大戦での原爆投下についての意見を日米で聞くと、タテマエとしてはたぶん非常時の正義と絶対的な悪と、二つの考え方にはっきり分かれるでしょう。


アメリカ視点でみた米軍の原爆投下→戦争終結を早め、米兵の戦死者を減らすための正義の行為。(アメリカは絶対謝罪などしてはいけない)

日本からみた米軍の原爆被害→民間人の無差別大量虐殺であり、許しがたいテロ行為で悪魔の所業。人類史上最悪の戦争犯罪。米大統領のトルーマンも米空軍のルメイも戦争犯罪人。(アメリカに絶対謝罪させたい)

こういうのは「世界中の人に一つの歴史認識を」なんて考え方を取ること自体が不可能への挑戦です。百年でも千年でも平行線のままであるのが、正常な状態です。その絶望をきちんとした上で、主張するしかないのです。


「みんな仲良く」という発想はカンタンに「みんなが同じであるべき」という発想になります。ただ実際は100人いれば100通りの人生観があります。「みんなを同じにしよう」という意味での「みんな仲良くのおしつけ」は実は、非常に無理がある設定なのです。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。