人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか

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織田信長公が好んだと伝えられる幸若舞「敦盛」の一節です。信長公記によると、桶狭間の出撃直前にこの一節を舞い、立ったまま湯漬けを食べて甲冑をつけて出陣したシーンが記録されています。「人の世は天上界に比べれば幻のようなもの。この世に生まれたもので滅びないものなどない」といった意味です。


歌の解釈は自由にやればいいのですが、単純な誤解は避けていったほうが面白いです。時々この言葉を「人間の寿命は50年」と解釈している人がいます。が、歴史視点で言うと実はこの解釈は間違いです。

というのは、「下天のうちを比ぶれば」と続いていますが、この下天は何のことかというと仏教的世界の天上世界のことで、「人間界の五十年は、下天の一昼夜」という設定があるのです。浦島太郎で「竜宮城の三日三晩は、人間界の数百年」みたいな話がありますが、ウラシマ効果ともよばれるアレと同じような設定です。

つまり「下天と比べて」と続きますし、「人間」の語は「人間界」の意味に解読するのが自然なわけです。

また、「一度生を得て、滅せぬものの あるべきか」というのは、「死なない人間などいない。この世界に生まれてきて滅びないものはない」ということです。

戦いを前にしてこの歌をうたうというのは、「滅ぼせない敵はいない」と景気づけていたと推測することもできますし、「自分もいつ死ぬかは分からない」と覚悟を決めていた、と推測することもできます。

要するに「生者必滅」「全ては無常である」という中世的世界観が「人間五十年 化天のうちを比ぶれば ・・・」のテーマなわけです。徒然草とか平家物語などとも共通する重要テーマ「無常」がテーマなわけです。


信長公はこの歌を好んでいたそうですが、私もこの歌はカッコイイと思います。というのは「人は必ず死ぬ。生物は必ず死ぬ。」なんてことは、中世に限ったことではなく、人類の歴史が続く限りは適用できる原理原則だからです。

余談ですが、仏教の天上界は、他の神話や宗教の語る天上界に比べると扱いが低めです。仏教の世界は「輪廻の輪というラットレースを超えて、悟りの涅槃の世界に至ること」を目標とします。が、仏教の天上界の住人達は「まだ悟ってない人達。ラットレースの内側にいる人達の世界」という扱いになっているからです。

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