怠けることは悪ではない。楽をすることは善である。

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日本の昔話には「三年寢太郎」や「ものぐさ太郎」のように、怠けることの重要性を認識させてくれるものが実は存在しています。神話のアマテラスでさえ「嫌なことがあったから仕事を放棄してひきこもる」というニートや引きこもりの元祖のようなストーリーを持っているほどです。海外ニートならぬ天上ニートです。天岩戸神話は、引きこもりになった一家の主をいかに引っ張り出すかで試行錯誤する神々のドタバタ喜劇としても読み解くことができます。

神話の天上界の主でさえ引きこもりストーリーを持っているのですから、「日本人=勤勉=エコノミックアニマル」などという印象は20世紀後半の一時期に作られたイメージにすぎない可能性があります。1世代経過すると、常識というのは1000年前からの常識のように思いこまれてしまう傾向がありますので。努力と忍耐で成功を勝ち取るという立身出世物語ばかり流行していますが、実際には「流れに任せていたらいつの間にか成功した」的な物語も昔からあるのです。

 

さて、人間にとって実は「怠けることは良いこと」です。理由は3つあります。

 

1つは怠けるべき時期に怠けることで将来飛躍する力を蓄えることができるからです。

ものぐさ太郎のように、最初はひたすら怠けている主人公の昔話などがありますが、これなどは怠ける時期の必要性を示しています。人間には怠ける時期が必要なのです。休むべき時期にやすまないと過労死の危険があります。また、最初は何もせずにひたすら観察や計画に徹するということが必要なこともあります。これは他人から見れば怠けているようにしか見えないので、怠けるに分類してしまいます。アイディアにしても思いついたら、少し寝かせる期間というのは必要なことが多いです。

2つ目は怠けるために全力で頭を使うようになるからです。

文明の技術的進歩というのは全て「楽がしたい」という動機によって支えられています。努力のための努力は嫌なものですが、楽をするための努力ならなんか元気が出てきてやってしまうのが人間というものです。これは頑張った分が自分に還元されるから楽しいわけです(30分の作業が3分でできるようになったら、残りの27分は寝るなり勉強するなり、自分の好きなことに使えます)

もし、「頑張って歩くこと」が推奨される世の中だったら、自動車も電車も船も何も発展しなかったでしょう。健康にはいいかもしれませんが、現代文明の発展はなかったはずです。機械の力によって工場での単純労働は一気に減りました、パソコンの力によって事務所での単純労働は一気に減りました、家電の進歩によって家事労働にかかる時間は激減しました、こうした技術の進歩によって人間の活動範囲は一気に広がっていきました。

楽をして何かをしようとするには下準備というものは必要になります。簡単に料理をしたければ、仕込みをきっちりしておくことが必要です。スポーツをするのに楽をしてやりたければ、事前に基礎体力をつけておくことは大切です。つまり楽をしようとすると、全力で頭を使うようになります。身体に楽をさせるためには、頭にはハードワークをさせることになるのです。

3つめは本気で怠けようとすると、本質的な意味では真面目になってしまうからです。

真理は人を自由にするという格言がありますが、深い所を知ってから細かいことを学ぶとカンタンに学習できるようになります。逆だとなかなかそうはいきません。 つまり楽をしようと思えば思うほど、物事の本質を見極めようとして勉強しだす可能性があるということです。これはとてもいい副作用といえます。

 

【元記事】 http://sacredstory.info/pointofview/namakeru/

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。