風立ちぬと宮崎駿に思うこと -作家の思想と作品は別-

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作家と作品の関係というのが話題になることがあります。「作品は作家の人間性や生活や思想が反映されたものであるべき」といった発想です。が、こうした作家論的な視点だけでなく、「作家本人と作品は別もの」という視点も引き出しに入れておいたほうがいいと思います。

例えば、トトロやナウシカなどを作り出したジブリの宮崎駿監督や鈴木プロデューサーの政治思想は「反戦・戦後レジーム賛成」です。「憲法9条擁護!」コメントを選挙前に出していたりします。しかしその割には、ジブリ作品を見ると主人公が戦闘機で空戦をして活躍する作品がたくさんあります。

この矛盾の回答を推測するなら

「俺たちは純粋に飛行機が好きなんだ」
「思想的なことと作品は別だ!」

という話です。作家本人の思想と、作品の在り方、そこに一貫性を求める必要はないということです。宮崎駿の政治思想は気に入らないけどトトロは好き、みたいな人はたくさんいると思います。それで何も問題ないという話です。

アニメ映画監督が政治を語るなという主張を感情を込めてする人がいます。が、 そういう人は無意識に「作品と作家は一致しているべき」と思ってしまっている気がします。「作品と作家は別物」という視点なら、 「作者の政治思想は気に入らない。ただ、作品は好き」という発想に抵抗感を感じることはあまりないのではと思うからです。

もちろん社会的影響力がある人が自分が「邪道」と思うことを語っていると怒りを感じる、これは普通のことだと思います。ただ「アニメ映画監督は政治宗教を語ってはいけない」的な発想は世の中を窮屈にしてしまうと思うわけです。どんな職業の人であれ、もっと政治宗教を語れる世界になっていったほうが、世の中の自由度は高くなると思います。

「政治宗教は一切語るべからず」的な処世術があります。あれは3年・5年という短いスパンで見れば個人としては当たりかもしれません。が、30年50年という単位で見れば個人としても社会としても外れではないだろうかと思うわけです。特に現代日本や現代アメリカのように、民主主義を社会のシステムを採用している社会で生活している場合は。

さて、2013年の「風立ちぬ」はゼロ戦の設計者をとりあげた映画ですが、戦争で死んだ人の悲しみを描く映画でも、血沸き肉躍る英雄の映画でもありません。シンプルに堀越二郎という一人の技術者の半生と恋愛を物語化して描いています。

一言で要約するなら「PROJECT X & 悲恋もの」 です。

ゼロ戦が空を飛ぶシーンもほとんどないので、ゼロ戦の活躍する物語が読みたい人は「大空のサムライ」(酒井三郎)でも読みましょう。

そもそも、「作品と作家の思想は連続しているもの」という視点は近代の幻想ではないでしょうか?

宮崎駿の反戦を訴える文書などを読んだ後で宮崎駿の映画を見ると「作品の思想的メッセージ性は弱いので観客を選ばない作品である」とつい感じてしまいます。

映画であれマンガであれビジネス書であれ、テキストだけを純粋に読むのでもいいし、作者という存在を意識して読んでもいい。どちらでもいいけど片方の見方しかできないと世界が狭くなるという話です。

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