男性性の時代から女性性の時代へ 大きい政府から小さい政府へ

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「男性性から女性性へ」という精神世界的な文脈でよく語られるフレーズがあります。この種の言葉は少しシンボル的に解釈しないと実は何の意味もありません。単に「女性の時代」というだけだと何も中身がない話になるからです。たとえば、「大きい政府と小さい政府」という話とリンクさせるとちょっと面白いです。


大きい政府というのは、極端に言うと国民の大半が公務員の国と思ってください。男性的な「縦社会の組織の論理」が世の中を支配している世界です。

小さい政府というのは、政府がほとんど民間人の生活に干渉しない国だと思ってください。これを、女性的な「個人のゆるやかなつながり」という論理が世の中を導いている世界としてください。


小さい政府のイメージは夜警国家と言われますが、政府は「盗みをしたらおまわりさんがくるよ」という意味での最低限の事はやってくれますが、医療とか年金とか公共工事とか奨学金とかはほぼほぼなしです。その代わり税金は安く、面倒な役所的な手続きもほぼありません。

大きい政府だとゆりかごから墓場まで、政府がやってくれます。学校も医療も全部無料という話です。ただ、その代わりに税金は高くなります。また、どんなことをやるにも非常に多くの規制があって色々と面倒なことがおきます。

歴史的に見ると、20世紀というのは、政治の社会的な役割がどんどん拡大していった時代でした。

アメリカではルーズベルトのニューディール政策などがいい例で、巨大な政府が市場に介入してコントロールしていこうというのが流行しました。ソ連(ロシア)のスターリンの第一次五カ年計画は、政府主導でソ連を一気に農業国から工業国へ押し上げていきます。この辺りは、成功とする評価も失敗とする評価もあります。完全な失敗評価のものとしては、毛沢東(中華人民共和国)の大躍進政策という経済政策があります。これは数千万人の餓死者を出した上に工業化も達成できず、完全な失敗に終わりました。


こうした政策は、社会は「役人的な理性によってコントロールできる」という一種の仮説によって支えられていた実験と言えます。一応成功といえば成功する事例も出たので大流行しました。日本でも国家社会主義は流行し、20世紀後半には「日本こそは唯一成功した社会主義国である」というジョークが言われるようになるまでになりました。

ところが旧ソ連の崩壊をはじめとする社会主義国の崩壊が相次ぐと、「やっぱり理性で官僚的に全てをコントロールするのは不可能。経済は自由にやらせたほうがうまくいく」という意見が大きな力を得るようになってきました。


というような大きな流れを象徴的に一言で言ってしまうと、男性性という官僚的コントロールの時代から女性性という自由放任の時代へ、というような切り口がでてくるわけです。

女性性の時代といっても、口うるさく箸の上げ下ろしを管理するお局様的なリーダーが求められる時代なのか、大きな理念だけしめして細かいことは口を出さない「君臨すれども統治せず」スタイルの女王陛下的なリーダーを必要とする時代なのか、どっちかといったら後者であると思うわけです。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。