100%自分原因説とか鏡の法則などの取説

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鏡の法則や100%自分原因説などの書籍の特徴は、 「すべての原因は自分の心にある」というとらえ方をすることです。この教えは使い方によって、薬にも毒にもなります。なんでも人のせいにする被害妄想の強い人にはいい薬になることが多いかもしれませんが、なんでも自分で背負ってしまう真面目過ぎる人には、毒薬になる可能性もある教えだと私は思います。

雨がふるのは自分の不徳のせい?

例えば、楽しみにしていた野外イベントの日に 【雨が降る】ことがあったとしましょう。こういう時に、「楽しみにしている日に雨が降るのは、自分が悪いことをしたのが原因です」と思うのはただの勘違いです。

雨は天気の都合であって、人間のコントロール下にはありません。じゃあ「いいことをすれば、自分が遊びに行く日には決して台風はこないのか」と逆から考えればカンタンにわかる話です。

身近な人間関係だと?

その一方で、ごく身近な人間関係で「この人はひどい」という思う人がいたとします。こういうものに関しては「自分と相手」が主な関係者ですので、 「自分が変われば、相手も変わる」という可能性はわりとあります。関係者が2人ですので、相手にはたらきかけることである程度なんとかなる可能性は常にあるわけです。

この場合、「自分側に原因がある可能性をまず考える」というメソッドは一定の成果をあげる可能性は高いと思います。

ただ、もちろん物事には例外がありますので、「実際にひどい人」が相手の場合は、自分側がいくら努力したところで何も起きません。その場合は、適度な距離を置くか、縁を切るか、この二択しか選べません。

自分のせいにしてもいいこと

日常の悩みを、なんでも自分の心に原因があるというのは、「本人が何かやれば明らかになんとかなること」に関しては有効です。たとえば、語学のお勉強とか体力作りとか、そういうものは、「やればできる」範囲にはいってくるものか比較的多いと思います。そういうことに関しては「いいことは自分のせい、わるいことも自分のせい」という姿勢は適切だと思います。

自分原因にしても意味がないこと

ただ、その一方で、お天気とか恋人の気分の波とか混迷を深める国際情勢とか全く話が通じない人とか、「自分が何かやっても、どうにもならないもの」というものもいろいろあります。こういうものに関しては、「人のせいにすること、環境のせいにすること」が大切です。

たとえば、誰かが気分が悪いのは、その人の問題であって必ずしも自分の問題ではありません。ただ単に二日酔いで気分が悪いだけかもしれないわけですし、花粉症の薬がききすぎて眠いだけかもしれないわけです。

雨というのも善人の上にも悪人の上にも平等にふるものであって、人間への神の裁きとして悪人の上だけに大雨が起きるのは神話の中だけです。

(まとめ)

「自分にできることがたくさんある話なのか?実は自分の力がほとんど影響しない話なのか?」ということを切り分けて使わないと、「なんでも自分の心が原因」という説はおかしな使われ方をすることになると思います。自分の力だけでわりとどうにかなるものなら自分原因でいいですし、そこだけではどうにもならないことに関しては自分のせいにしないことも大切です

(おまけ)「この宇宙は全て人間の意識が作り出したもの」という不思議な宇宙観も昔からありますが、あれに関しては今回の話題とは似てるようで違う話題だと考えています。

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About Author

サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。