「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)という言葉は誰もがどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?この言葉の意味は、戦場で美しく死ぬことこそ武士道の精華といった意味ではありません。実はこの言葉は戦国時代が終わって平和な時代になってから生まれた言葉です。
これは「いつ死んでも後悔は無いか?」と問いかけながら生きればよく生きられるよ、ということです。死を意識することで充実した生が送れるよという意味なのです。
日本的な美徳といえば、平安宮廷貴族の「雅(みやび)で芸術的な感性」、近江商人の「三方よし(自分よし相手よし世の中よし)の合理的思想」などなど、様々なものがありますが、「死を意識して生きる」という武士道精神というのは、とても大切な美徳の一つです。
東日本大震災の後からは少し変わってきましたが、21世紀の日本人は「あたかも無限の寿命でもあるかのごとき鈍感さ」で人生を過ごしている人が増えているような気がします。近代社会は死の匂いがすることを生活の場から徹底して遠ざけてしまいました。大災害の報道で死体の映像が出ないのがその一例です。しまいには、まぐろが切り身のままで海を泳いでいると思っている子供がいるという笑い話があるくらいです。
だがしかし、人間は必ず死ぬのですから、「このまま死んで良いのか?●●を最初からあきらめたまま死んでもいいのか?」といった「今死んでも後悔はないか?」的な問いかけは常にしていくべきです。死んでから家族の相手をしようと思っても遅いですし、死んでからやりたいことをやろうとしても、「時すでに遅し」なのです。