桐紋は、現代でも500円玉に使われていたりもしますし、最も有名な定番の家紋の1つです。戦国武将で桐紋で有名といえば、豊臣秀吉ですが、今回の記事は秀吉の文化力が実はすごいという話です。
よく、信長は安土城のような独創的な建築を作ったり、文化的なパワーをよく理解していたけど、秀吉は成り上がりだけあって文化パワーは弱かったというイメージがあります。たとえば、黄金の茶室なんてただの成金趣味だろうみたいなイメージです。また、明国との戦い(朝鮮出兵)の進め方などを見ても、単に信長公の構想を猿真似しただけではという疑惑もあると言われることもあります。
ただ、秀吉が紋として使っていた「太閤桐」という秀吉の作った紋を見ると、「実は、すごく美的センスあるんじゃないか?太閤さん?」と思いました。この紋は、秀吉が従来からあった「桐紋」をアレンジしたものです。自分で絵をかいた可能性は低いと思いますが、自分のところの紋として使う以上、最終的な意思決定はしていたと思われます。
いわゆる家紋的なものの中で「スタイリッシュ」な印象を与えることがある紋は、意外と少ないです。ところが、秀吉のつかっていた太閤桐は、洗練されたセンスを感じられるものになっているのです。これを、いろんなところにあしらって調度品を作れば、「むむ。秀吉公のお城はなんか違うぞ」という印象を与えることができたと思います。徳川の葵紋は「重厚さ」は出せますが、「洗練性」を出せるかといわれると形状的にかなり無理があります。
色んなものにつけて利用する、という家紋の古い時代での本来の用途を考えた場合、家紋というのは現代でいえば、高級ブランドのロゴマークみたいなものです。つまり、あちこちにちりばめて利用することを考えてデザインする必要があります。また、「ほかのブランドとは違うんだよ」という識別の機能も必要です。エルメスとグッチとヴィトンのロゴがすごく似ていたら、問題になると思います。識別記号ですので、他と違って見えることも大事です。
と考えると、秀吉がありふれた桐紋をアレンジして新しい紋を作り直したセンスはなかなかのもので、意外と美的センスもあったのではないかと考えられるわけです。
余談ですが、家紋からルーツを探るというのは非常に難しいです。なぜなら、そもそも「この紋はこの一族しかつかっちゃダメ」みたいな規制が実質的にないからです。江戸時代なら徳川氏が葵紋に関して規制をしていたので「葵紋=徳川関係」という推測はできます。が、明治以降は皇室専用として明治政府が設定した菊紋以外は、基本的に自由になったので葵でも何でも誰でも付けられます。自由に改変できる性質のものなので、これでルーツ探しというのは難易度が高い作業になると思います。