太平記の世界から、後醍醐天皇の遺言です。南北朝の戦いで足利尊氏に敗れ、京都から奈良県の吉野へ撤退した後醍醐天皇は、吉野で失意のうちに崩御します。その時の遺言がこれです。「私の身体は南の吉野で白骨になるけど、魂は常に北の京都奪還の執念を持ち続ける」といった大意です。
名言の概要
要約すると怨霊となっても帝都を奪還する、という話なので、「死ぬまであきらめない。死んだ後もあきらめない。絶対あきらめないから」という強さこそが、この名言の魅力だと私は思います。
豊臣秀吉の「難波のことも夢のまた夢」という「この世は一瞬の幻」的な世界観も美しいですが、この執念深さは別の美しさを持っています。平清盛の「葬式不要。頼朝の首をささげよ。」というのも執念という魅力を感じる遺言です。残された平家の遺族は盛大に葬式して、壇ノ浦で滅びてしまいましたが。
後醍醐天皇の遺体は剣と経典を持ち、吉野から見た京都の方向である北を向いて埋葬されました。
天皇と戦っていた足利尊氏は、天皇の怨霊を恐れたのか、後醍醐天皇を祭る「天龍寺」を京都に建立しています。尊氏の行動を見ると、積極的に政権を奪いに行ったというよりは、成り行きに任せて行動していたら政権奪還しか選択肢がなくなっただけ的な見方もできるので、個人的には後醍醐天皇との戦いはやりたくなかったのかもしれません。
ゆかりの地紹介
吉野 如意輪寺
如意輪観音を祭るお寺で、後醍醐天皇のお墓があります。宝物殿は天井に仏画が書かれていて、寝転がってみることができるという珍しいものが見れます。南北朝時代の鎧なども展示されています。
蔵王堂から少し歩きますが、静かでいいところです。吉野駅からだとタクシーなら10分、徒歩でも35分くらいです。
吉野 吉水神社 (吉水院)
後醍醐天皇や義経や秀吉が滞在したとされる寺社で、現在は後醍醐天皇や楠公を祭神とする神社になっています。書院には狩野派による豪華な装飾が施されており、一見の価値があります。
楠公のようなオーラをはなつ宮司さんがいて、「北闕門で九字を切ってみよう!」という写真入りの九字を切る案内がされていました。後醍醐天皇を尊敬している人は、いい機会なのでやってみるといいかもしれません。