大衆は常に間違う | 歴史の教訓シリーズ

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アール・ナイチンゲールという人は【大衆は常に間違う】と語ったそうです。投資の「逆張りのすすめ」的な格言としてよく語られるようですが、歴史を見ても「全くその通り」と言う事例はたくさん探せます。

20世紀前半のドイツの場合

例えば、ドイツのヒトラー総統は「民主的な選挙によって」選ばれました。悪魔の独裁者のように言われるヒトラー総統ですが、「クーデターや軍事革命」で政権奪取したわけではありません。ミュンヘン一揆(クーデター未遂事件)に失敗した後は、合法的な活動に切り替えています。

ヒトラー総統はドイツ国民から正当な選挙によって選ばれたのです。そして、ドイツ国民は完全に選ぶ相手を間違えたので、第二次大戦に負けたドイツは廃墟になりました。

なぜ、ヒトラー総統が当時のドイツ国民から圧倒的支持を得たのかというと、 第一次大戦に敗戦したドイツのおかれていた状況は非常にひどいもので、 「革命的な変化が必要、とみんなが感じられる状況」がそこにあったからです。

そして、「共産主義よりナチスのほうがよい」という空気もあったからです。 共産党政権になるとどうなるかというと、かつての旧ソ連のように 「色んな企業が、何でも国有化」されてしまうリスクがありました。

共産主義というのは、「私有財産制をやめて、平等な社会を」という理念をもっています。これは「何でもかんでも個人財産を否定する」ほど極端な話ではないですが、「工場だ農園だといった「生産手段」は共有化」されてしまいます。

既に巨大な工場などを持っている大企業や資本家の立場からすると「財産の没収」が起きる話なので、「共産主義だけは絶対に阻止したい」となったわけです。

20世紀の清国の場合

欧米列強+日本+ロシアに酷い目にあわされていた清国では「外国人の横暴を許すな!」と民衆運動がおきました。(義和団の乱

これは、当時の清国の状況からするとまったく正しいことです。

たとえばイギリスは、アヘンという麻薬を清国で売りまくっており、 清国の当局がこれを取り締まると、「麻薬を売らせろ!」と戦争を 起こして認めさせたくらい横暴にふるまっていました。(アヘン戦争)

なので、大衆運動がおきる動機は正当なものだったのですが、 残念ながら当時の清国にはまだ諸外国の暴虐をはねかえせるだけの 軍事力がありませんでした。

結果として、欧米諸国+日本+ロシアにコテンパにやられた清国は、 さらにみじめな状態を作ってしまいます。

現在の北京政府は何かと攻めの交渉をやりますが、これは 「国際政治では、力なきものは虐待されるだけ」という19世紀後半~20世紀前半の教訓を 忘れていないからでもあります。ようやく軍事大国の地位を得たので、欧米諸国+日本に対して反撃に転じているわけです。

21世紀の日本の場合

ちょっとスケールダウンして考えてみましょう。インターネット上で、自分の専門分野や好きなことについて、「何それ?」な情報が拡散していることはよくあると思います。

例えば、歴史が好きな人なら、「江戸しぐさ」というインチキ歴史が、なぜか 学校の道徳の授業にまで導入されたことがあると知ると驚くと思います。

江戸しぐさが、どれくらいインチキかというと、江戸時代に【人を訪ねる時は時間を決めてアポをとる習慣があった】という主張をしているような内容です。スマホもメールも電話も腕時計もない時代に、庶民に細かい時間管理なんてできません。そもそもそんなルールがあるなら、落語や歌舞伎のネタになってないはずもないのです。

この江戸しぐさが公共の場にまで広まったのは、「大衆は常に間違う」のいい事例の一つです。お役所も一緒に間違えたというのも、お役所は歴史マニアの集団でも何でもないので別に不思議なことではありません。

まとめ

「大衆は常に間違う」という名言は、「大衆が常に正しいなら、ヒトラーは民主的な選挙で政権をとれなかったはず。」と覚えておけば十分でしょう。歴史に学ぶという意味では、「少数派は常に正しい。しかし、正しさで人を動かすのは難しい」と認識しておけばいいと思います。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

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