舞踊なり武道なり、伝統的な身体文化の世界にふれたことがある人にとって「正座」は身近で楽な座り方の一つでしょう。実は、腰から上だけに関していえば、正座は非常に身体に優しい座り方です。ただし、足がしびれる、ひざや足首に負荷がかかるなどのマイナス面もあります。この正座、実は「フォーマルな座り方」になったのは比較的最近です。
昔の日本人の座り方は多種多様
実は、昔の武士や貴族は、男女問わず「あぐら」なり「たてひざ」なりで座っていました。この辺は昔の絵を見る時に観察してみると分かります。
戦国時代、お初の方(豊臣秀吉の側室、淀殿の妹です)の肖像画はこんな感じ。気品の感じられる立て膝です。
茶道の千利休もあぐらを組んだ絵が残っています(細かいですが、拡大してよく見ると右の足先が前にでてます。)
これは淀君と言われている絵ですが、「正座」には見えにくいです。(裾がかなり真横に広がっているので)
あとは、「国宝 観楓図屏風 室町時代」なども分かりやすいでしょう。(グーグル検索で出てきます)
なお、肖像画などが残るのは上流階級中心になるのですが、庶民レベルでは現代語でいう「正座」の利用率は極めて低かったのではないかと推測出来ます。というのは、現代語の「正座」の座り方は、やわらかい座布団の上ならともかく、地べたや板の間には適していないからです。そして、畳が庶民レベルまで普及するのは江戸中期以降なので、そもそも昔の庶民の家は、正座が気軽にできるような床の堅さではなかったからです。
また、仏像を見る機会がある人は観察してみると面白いと思いますが、結跏趺坐的や輪王座などは多数見られますが、正座はほとんど見られません。
実は歴史的には「正座」が座り方として広まりはじめたのは比較的新しいこと、江戸中期以降なのです。(入澤達吉『日本人の坐り方に就いて』では元禄~享保(1688~1735)に広まったとされます)
近代以降、「正座」が正しい座になった理由
なぜ近代になってから現代語でいう「正座」が正式な座り方のイメージを広く世間的に獲得したのか。これは、まず江戸中期から武家の礼法として使われ出し、その後、庶民にも広がっていき、明治期の改革の中で「これを標準に」と設定されたもののようです。
もしかしたら江戸幕府が作法として正座を導入したのは、「正座=あしがしびれる=殿中で刀を抜こうとしても動きが鈍る」という城内でのセキュリティー的な効果を狙った話だったのかもしれません。
なお、江戸中期以降、着物の横幅(身幅)が狭くなるという服飾上の変化がおきており、女性の場合、ここで脚を大きく広げる座り方がしにくくなったという説もあるようです。
参考ですが、明治の文豪、夏目漱石の小説には「正座」という言葉は一回もでてきません。明治初期は現代語でいう「正座」は、まだ「唯一の正しい座り方」の地位は獲得していなかったようです。(参考 「日本人の座り方」(谷田部英正 集英社選書) )
正座を和室での唯一のフォーマルな座法とする必要性は低い
座り方というのは衣装(ファッション)による制約をうけるものです。たとえば、ミニスカートで下着を見られるとまずい場合、畳部屋で床に直接座るとなると正座は有力な選択肢の一つになるでしょう。ただ、ストールでも用意しておけば、ゆるい横座りで座ることもできますし、あぐらにしたとしても見せてはいけないものは見えません。
あぐら・たてひざ・横座り・仏像のような座禅ボーズ・お相撲さんのような蹲踞のポーズ・・・、昔からの座り方も色々あります。
別に(現代語でいう)正座を悪者扱いするものではありません。ただ、正座を「(畳部屋での)唯一の伝統的な正式な座り方」とルールづけしてしまうのは世の中的な損失だと思います。
歴史的に見ると、正座はあくまで「たくさんある座り方の中の一つ」でしかありません。また、膝・足首にはかなり負荷の高い座り方ですので健康面からいえばそれなりのデメリットもあります。正座が正しい座り方、というのは明治期に広められたわりと新しい伝統です。これをいつまで「標準」にしておくのかということは柔軟に考えていったほうがよいのではないでしょうか。
座り方で私達が大事にすべき事は?
どんな座り方であれ「背骨がガチガチに固まってない=自然なS字曲線を維持」という点は時代や洋の東西を問わず普遍的に重要な部分でしょう。とくに「美しく見せる必要性がある場合」や「健康面に気をつかう場合」は。逆に言うと、そこさえきちんとしていれば、細かいことは状況に応じて臨機応変でよいと思います。